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【ネットミーム】ドトールのWi-Fiで万葉集の左遷役人気分?

ドトールのWi-Fiをきっかけに、万葉集の左遷役人の気分を味わった――と言われても、何のことかさっぱりわかりませんね。

事の発端は、2025年4月24日にX(旧Twitter)にされた一つの投稿。

この、「ドトールのWi-Fi」という近代感と「万葉集の左遷役人」という、ちょっとすぐにはつながらないものを繋げてしまった大喜利想の柔軟さに、創作意欲を刺激された人が1万人近くも殺到したのです(数えたわけではありませんが、4月30日現在、1.5万の引用リツイートがあり、その内の多くが創作物)。

一体どういうことなのか、紐解いてみましょう。

目次
 

ドトールのWi-Fiで万葉集の左遷役人気分になった理由

いにしえの「左遷役人」と聞いて、多くの方が連想したのは菅原道真公

大宰府に左遷される際の和歌「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」が有名ですね。

しかし、この歌は万葉集には入っていません。「拾遺和歌集」「大鏡」「宝物集」等に編纂された和歌です。

それでは、万葉集の左遷役人とは、誰なのでしょう?

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」を上げる方もいましたが、これは古今集紀貫之の和歌。

他人の心はわからないけれど、ふるさとでは、梅の花だけが昔と同じ香りをただよわせています。という意味です。

候補は大伴家持

ポスト主の大やまさんが明言されていないので、あくまでも予測ではありますが、一番に思いつくのはやはり大伴家持では無いでしょうか。

というのも、数千の歌が編纂されている万葉集。そのうち、大伴家持の歌だけでも473首もと、全体の1割を占めているため、万葉集の編集者ではないかとまで言われているのです。

万葉集と言えば、大伴家持。そして彼は、左遷経験者でもあります。

ただ、なにせ473首もある中から、これだ! という一首は見つけきれませんでした…

最も、ポスト主の大やまさんは「左遷役人みたいだった」と例えただけなので、特定の和歌を差したわけではなさそうです。

ちなみに大伴家持、755(天平勝宝7)年2月に、難波へ防人閲兵に行きますが、その際に防人の歌を蒐集しています。

さらに、自ら「防人の悲別の心を痛む歌」(20/4331~4333)・「防人の悲別の情を陳ぶる歌」(20/4408~4012)などをっているので、これらの中に今回の状況に近い和歌があるかもしれませんが、ネット上では具体的な和歌を探し出すことができませんでした。

 

ドトールのWi-Fiに思いを馳せた創作物たち

「田舎に帰ったとき、ドトールのWi-Fiだけが自分を覚えていた」という状況は、多くの方の創作意欲を掻き立てました。

アレンジ

まずは、すでに存在する歌等の創作物をアレンジしたもの。

これは、あまりにも有名な菅原道真公の和歌「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 我が名忘れそ」から来ています。

梅の花が好きだった菅原道真が、都を離れ大宰府に左遷される際に梅の花に「春風が吹いたら、その匂いを(太宰府まで)送って遅れ、梅の花。主(私)がいなくなっても、私の名を忘れないでくれ」という内容です。

認知度も状況も、今回のテーマにあっていますね。

https://twitter.com/letsgojcgcom/status/1915903179562356831

こちらは、国語で習った人も多い『山月記』から。

Wi-Fiを「矮徘」と漢字を当てているのが面白いですね。

こちらは尾崎放哉の「咳をしても一人」から。

尾崎は「無季自由律俳句」という季語や文字数に捕らわれない独特の俳句を読んでいたので、短いですがこれで一句なんですよ。

こちらは、伊勢物語の40段『すける物思ひ』に収録されている歌「出でて往なばたれか別れの難からむありしにまさる今日は悲しも」から。

ある男性が、実家に使える女性に恋をしましたが、親は息子の想いを察し、女性を追い出してしまいます。

男性はまだ親に世話になっている身であるために、それに口を出す気力もなく、女性も身分が低いため、抗う事が出来ませんでした。

そのため、血の涙を流して男性が詠んだ句がこれです。

「(女性自ら)出て行ったのならば、誰が別れがたい等と思うでしょう。(しかし、事実は違うため)今までにまさって、今日は悲しいことです。」という、切ない恋心の歌です。

https://twitter.com/mio_sng/status/1915972182490157387

紀貫之の「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」も人気です。

百人一首にもあるこの短歌。「人の心はどうかはわかりませんが、ふるさとでは、梅の花は昔と同じ香りを匂わせています」という意味です。

こちらは王昌齢による「芙蓉楼送辛漸」という漢詩から。

寒雨連江夜入呉
平明送客楚山孤
洛陽親友如相問
一片氷心在玉壺

「芙蓉楼(ふようろう)にて辛漸(しんぜん)を送(おく)る」

寒雨、江に連なって、夜、呉に入(い)る
平明、客(かく)を送れば楚山、孤(こ)なり
洛陽の親友、如(も)し相(あい)問わば
一片の氷心(ひょうしん)、玉壺(ぎょくこ)にあり

寒々とした雨が揚子江にふりそそぐ中を、夜になってから呉の地にやってきた。
あけがたに、友人を見送ると、夜来の雨もやんで、朝もやのはれゆく中にぽつんと楚の山が見える。
洛陽の友人がもし、王昌齢はどうしているか、とたずねたら、
彼の心は一片のすみきった氷が玉壺の中にあるようだ、といってくれ。

こちらは伊勢物語の一節『月やあらぬ』(昔、東の五条に大后の宮おはしましける西の対に〜)より。

「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」

月も春も、昔のままのではないのでしょうか。私だけは以前のままであるのに(すべて変わってしまったように思えます。)という意味です。

古文で習う「春望」になぞらえる人もいました。

国破山河在

城春草木深

感時花濺涙

恨別鳥驚心

烽火連三月

家書抵万金

白頭掻短

渾欲不勝簪

国破れて山河在り

城春にして草木深し

時に感じては花にも涙をそそ

別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火ほうか三月さんげつに連なり

家書かしょ万金ばんきんあた

白頭掻はくとうかけば更に短く

すべしんへざらんと欲す

我が朝廷は国家が破壊されてしまったというのに山河は今もここにある。

長安の町は春を迎えたけれど草木だけが勢いよく生い茂っている。

世の移り変わりに心痛み、花を見ても涙が流れる。

家族との別れを思って鳥のさえずりにもびくびくしてしまう。

いくさの烽火のろしは三か月続き

家からの手紙は万金に値する

白くなった頭を掻けばいっそう短くなり

かぶり物のかんざしをさすこともできない。

「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」

東の空には曙の太陽、西の空には傾いていく月のある風景を読んだ一句です。

https://twitter.com/maisov_J/status/1916275852553425379

こちらは、ドイツの詩人カール・ブッセの詩「山のあなた」から。上田敏の名訳があまりにも有名です。

山のあなたの空遠く
さいはひ」住むと人のいふ。
ああ、われひとゝめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ」住むと人のいふ。

百人一首にある前大僧正行尊の短歌。

もろともに あはれと思へ 山桜(やまざくら) 花より外(ほか)に 知る人もなし

「(私があなたを愛しく思うように)一緒に愛しいと思っておくれ、山桜よ。この山奥では、桜の花の他に知り合いもないのだから」という意味になります。

橘曙覧という歌人の作品。『志濃夫廼舎歌集』の「独楽吟」(どくらくぎん)と呼ばれる、「たのしみは」で始まる歌の連投が有名です。

とくに有名なのが以下の一句。

「たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時」

もはや現代訳も不要なほど、素朴な言葉で他愛のない光景が描かれています。

古今集の「かくばかり 逢ふ日のまれに なる人を いかがつらしと 思はざるべき」から。

「こんなにも会える日が少なくなったあなたのことを、どうして、こんなにつらい気持ち、恋しい気持ちを我慢することができましょうか」と、恋人の心移りを嘆く歌です。

「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞の島の玉藻刈りをす」

「儚いこの命を惜しみ 浪にぬれてはわたくしは 伊良虞の島のこの玉藻を刈り そして食べているのです」という意味になります。

挙句の果てには、サザンオールスターズの『愛の言霊』のアレンジまで。

「生まれく叙情詩(せりふ)とは 蒼き星の挿話
夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊」

まさに、古今東西津々浦々、様々な詩的表現が殺到しました。

オリジナル

中にはオリジナルで歌を詠む人たちも…

もはや解説は無粋なので、そのまま張らせていただきます。

https://twitter.com/ChewieJp/status/1915938804701270172

Wi-Fiに懐かしまれたのはあくまでも端末では?

ちなみに、Wi-Fiはポスト主に反応したわけではなく、あくまでも携帯端末に反応したことに対する憐れを感じる人たちもいました。

 

ドトールのWi-Fiで万葉集の左遷役人気分になったまとめ

ドトールのWi-Fi」と「万葉集の左遷役人」という異色の組み合わせは、多くの読み手の創作意欲を刺激しました。

既存の詩歌や古文をアレンジする人もいれば、オリジナルを詠み人もいて、それがSNSに続々と投稿される様はとても風情のあるものでした。

何百年、何千年経っても、人間が心を動かされ、表現するという尊さは変わらないのかもしれませんね。

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