『地獄先生ぬ~べ~』は、平成にも一度アニメ化されたものを、今回改めてリメイクしています!
原作漫画版、平成アニメ版、今回の令和アニメ版と3パターンを見比べるファンも多く、やはり話題になるのは、原作漫画や平成アニメとの改変部分。
『地獄先生ぬ~べ~』の令和アニメ版は、どんな改変がされているのでしょうか。
また、その改変は功を奏しているのでしょうか。
ここでは令和アニメ版『地獄先生ぬ~べ~』の改変に対する評判をまとめてみました。
『地獄先生ぬ~べ~』の評判

令和アニメ版『地獄先生ぬ~べ~』の改変に対する評判は、賛否両論別れています。
時代に即して良くなった、いい意味で期待を裏切られた、とする人もいれば、
本来のメッセージ性が薄れたり、キャラ改変に違和感を覚えたりする人もいるようです。
悪い評価
やはり、原作と違うとすぐには受け入れられない人、反発を感じてしまう人がどうしても出てしまいますね。
教訓が伝わらない
一番懸念されるのが、改変によって話に込められた教訓が伝わらなかったり、意味が変わってしまったりすることです。
妖怪にまつわる民話などの中には、人間がなにか掟を破ったり、人道に反したことがきっかけで怖い目に遭う話、というパターンがありますが、『地獄先生ぬ~べ~』もその手の話が多くありました。
令和のエンターテインメントは「理不尽な悲劇」パターンが多いため、それに合わせている面もあるかもしれない、という声もありますが、
『地獄先生ぬ~べ~』は、昔からの言い伝えや妖怪などを背景にした話がほとんどであるが故に、「昔も今も共通するもの」を感じさせるのが魅力の一つでした。
それを、表現をマイルドに改変したことによってメッセージ性が弱くなったりするのは本末転倒では無いか、と嘆く人は多くいるようです。

例えば、第5話の「はたもんばの呪い」の話は、原作でもアニメでもトラウマ回として有名な話。
そのきっかけは、克也が妹のためとはいえ賽銭泥棒をしたことでした。
当たり前ですが、賽銭泥棒は窃盗罪に問われる犯罪行為です。
その咎(とが)で、はたもんばにターゲットにされる展開は、命まで脅かされることは妖怪ならではの行き過ぎたものを感じさせても、「自業自得」な面がありました。
克也というキャラクターは、そういう軽犯罪に手を染めてしまうような危うさと、妹や仲間思いで本当は優しい面があるという二面性を持ったキャラクターとして描かれてきました。
ぬ~べ~のクラスは、そういう「いい子」の範疇に入らないような子ですら、良い面もあり、輝く瞬間を魅せてくれるという意味でも、リアリティがあって視聴者に訴えるものがあったのです。

それが、令和アニメ版では、とある神社で偶然拾ったお金(克也が拾うよう、はたもんばが目の前に投げ入れたもの)を妹のために使ってしまったことで、はたもんばにターゲットにされてしまいます。
これではまるで、いちゃもんをつけてくる当たり屋か詐欺師です。
ほとんど非の無い克也に同情する声、理不尽さにはたもんばを責める声が増えてしまいました。
いい話が残念に…
話の顛末が大きく改変されて話題になったのは第3話「真夜中の優等生」という人体模型の話。

原作では、人体模型自身は(見た目はグロテスクですが)内面が素直でいい子。
「人間になりたい」という夢を、その人柄を評価されて(まさかの)白衣観音に叶えてもらえた、という、ちょっとコミカルなハッピーエンドでした。
それが、令和アニメ版では「霊的磁場」によって暴走した挙句、半妖怪化してしまったという顛末に、人体模型に同情する声が多数寄せられることに。
霊的磁場?
どうも今回の令和アニメ版、「霊的磁場」を随所に絡めてストーリーに一貫性を持たせたい思いがあるようです。
ぬ~べ~が童守小学校に赴任した理由も「霊的磁場」。
人体模型の半妖怪化も「霊的磁場」。
今後の話も、ストーリーの裏付けに「霊的磁場」を使うため改変される可能性があります。

話に一貫性を持たせること自体は悪いことではありません。
『地獄先生ぬ~べ~』は妖怪モノも幽霊モノもあらゆるホラー系を寄せ集めただけではなく、アクション、コメディ、感動ものにお色気とあらゆるジャンルを内包しているので、何か一貫性を持たせるネタでまとめるのは、むしろ良い判断でしょう。
ただ、それで話の真髄まで変えてしまうことには、賛否両論別れているようです。
良い評価
しかし、さすが数十年越しのリメイクなだけあり、評価の高い面も多々あります。
人気キャラの登場が早い!

主人公鵺野鳴介のライバルである妖狐玉藻。
原作では第11話、平成アニメ版では第6話にて登場しましたが、令和アニメ版では第2話で早くも登場し、話題となりました。
声優も、ぬ~べ~と玉藻だけは平成アニメ版から続投ですし、この二人の関係を多く描きたいという意欲を感じますね!
さらには、原作では第30話、平成アニメ版では第11話で登場したゆきめが、令和アニメ版では第7話『季節はずれの雪女』にて登場することが決定!
自称ぬ~べ~のフィアンセのかわいい姿を早く見たいですね!

スマホなど時代に合わせている
これは、令和アニメ版に合わせて復活した漫画版でも共通していますが、スマホなど子どもたちを取り巻く環境が現代に合わせてアップデートされています。
ただ身の回りが変わっているだけでなく、それを利用して窮地を脱したりする場面もあり、いい意味で「現代ならどう切り抜けるのか」が描かれるのは、原作・旧アニメファンにとっても新鮮ですね。
アクションとホラー要素に力が入っている

とても評価が高かったのが、アクションとホラー要素に力が入っていることです。
平成アニメ版は少年漫画故に子ども向けだと判断されたからか、ゴールデンタイムでの放映であり、グロテスクな表現も少し抑えられたりしていましたが、令和アニメ版はその枷を外して思い切り表現できているようです。
もしかしたら今後、原作や平成アニメ版以上のトラウマ回も生まれるかもしれませんね。
『地獄先生ぬ~べ~』のまとめ

『地獄先生ぬ~べ~』が令和アニメ版としてリメイクされていますが、やはり平成アニメ版と比べると様々な改変があり、その度に意見が分かれているようです。
しかし、意味がないと思われる改変はあまり無いので(霊的磁場関係も、後々、今後本筋に絡みそうだからあえてアピールしているっぽい雰囲気があります)、大きな反発は起きていないよう。
『地獄先生ぬ~べ~』事態が、ホラー要素もお色気要素も児童の半グレ要素も、いろんな方面で攻めた作品だったため、令和の時代にそのままアニメ化することは現実的に無理な話。
何をどこまで掘り下げ、どうアレンジするかは制作側の手腕が問われますが、今後も必要に応じて対応していってほしいと思います。